石川県医師会の安田健二会長は本紙の取材で、能登半島地震でのJMAT(日本医師会災害医療チーム)活動について、「日医、都道府県医師会、郡市区医師会の存在を、これほど心強く思ったことはなかった」と、支援に謝意を示した。「被災地に派遣された他の各種チームと協力し、専門性を発揮して支援できたことが大きかった」と語った。
地震発生した1月1日、安田会長は、金沢市内の自院で当番医をしていた。大きな揺れに見舞われ、テレビのニュースで能登半島の被害の大きさを知った。「まさか、自分の県で大きな災害が起きるとは思っていなかった」と振り返る。戸惑いは大きかったが、日医と協力して、支援体制の構築に力を尽くすと決めた。
発生から数日でJMATの派遣体制が整うと、めまいを起こして倒れた。「緊張の糸が切れたのだと思う」。今は半ば笑い話にしているが、心身の疲労は普通ではなかったという。
●ICTで情報共有
安田会長は、JMATによる避難所の巡回について、ICTを活用した情報の収集・共有が役立ったとの認識を示した。「(巡回した)チームから各避難所の情報を情報共有ソフト『teams』に上げてもらい、対策本部で分析した。その結果をマッピングして、(支援の必要性が高い避難所の巡回を優先するなど)巡回頻度に反映させ、効率的に巡回することができた」。
被害が大きかった能登北部の診療所には、診療再開を断念しかけていた医師もいた。しかし、JMATと一緒に活動し、少しずつ患者が戻ってきたことで、再開を決意したケースもあったという。
●ホテルや民泊施設、巡回が難しいケースも
一方で、安田会長は、JMAT活動の全てが順調だったわけではないと説明した。当初は、避難者からJMATへの理解を得られず、巡回活動を拒まれるケースもあった。
「せっかく全国から支援に来ていただいたのに、苦労されたチームも多かったと思う。避難者に菓子折りなどの手土産を渡すなどして、少しずつ打ち解けていった」と話す。
避難先がホテルや民泊施設になったため、避難者のプライバシー保護を理由に、巡回が難しいケースもあった。ホテルへの避難者の中には、部屋に閉じこもりがちになる例も見られた。
安田会長は、避難者の健康維持の重要性を周知することが、今後の課題だとした。例えば、避難先のホテルを地域コミュニティー単位にすれば、ロビーでの顔見知り同士の会話にもつながると指摘。「そうした場では、JMATなどの支援もしやすい」と話した。