看護師派遣、「情報共有」「他団体との連携」に課題  能登地震で【無料】

2024年5月8日 4:30

 年始に発生した能登半島地震を受け、日本看護協会は2月までに、3000人近くの災害支援ナースを派遣した。協会の中野夕香里常任理事は、情報の把握・共有や、他団体との連携などの面で課題があったと振り返り、「忘れないうちに改善したい」と述べた。

 1月6日から2月29日にかけ、延べ2982人の看護師を被災地に派遣した。当初は医療機関への派遣だったが、時間の経過とともに、避難所、1.5次避難所での活動が中心になった。

●ニーズの把握に課題

 派遣当初について、中野氏は「被災地のニーズがどこにどれぐらいあるか、把握しにくかった」と説明した。被害規模の大きさ、地理的条件、高齢化率の高さ、人の動きが通常と異なる正月の被災、といった事情が影響したとみている。

 石川県知事からの要請に基づき、保健医療福祉調整本部の総合調整に沿って、被災地に向かった。しかし、派遣開始直後は、受け入れ施設に情報が十分伝わっていないケース、派遣チームの中で情報が錯綜するケースなども発生した。そうした中でも災害支援ナースは、発災時の混乱は当然という前提で、現地の状況に合わせて柔軟に活動したという。

 中野氏は、早期からの情報整理の必要性を指摘。現地の支援活動で得た情報を、速やかに集約する仕組みも考える必要がある、とした。

 交通事情の悪化を受け、石川県に入った後、活動する現地へ到着するまでに時間を要した。災害支援ナースの派遣は3泊4日だが、移動に時間がかかり、その期間を効率的に活用できない例も生じた。被災地に人が集まる中で、「交通手段の手配も大変だったが、地元企業の協力に助けられた」と話す。

●多くの団体・支援者が活動

 被災地では、多くの団体や支援者などが活動し、他のチームにも看護職がいた。常駐して活動する人、地域内を巡回する人、在宅の被災者を支援する人など、活動内容もさまざまだった。それぞれ、互いの業務を把握できていない状態で動いていたため、活動に偏りが生じたり、非効率になったりすることもあった。

 中野氏は「もう少し横の連携ができれば良かった」と語った。日看協としても1月6日から石川県庁に職員を派遣したが、県の調整本部にも、さまざまな団体が集まり、連携が難しい面もあったとした。

 1.5次避難所の支援でも、他職種との連携の必要性を感じたという。

 災害支援ナースは4月以降、DMAT(災害派遣医療チーム)やDPAT(災害派遣精神医療チーム)と同様に、国の仕組みに位置付けられた。これも踏まえ、中野氏は「他のチームとどのような連携ができるか、平時から考えておかないといけない」と述べた。
 

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